ストーリー集

Vol.01|「応募ゼロ」から始まった。採用活動が動き出した中小企業4社の物語

はじめに

求人を出しても、誰も来ない。

そういう状態が1か月、2か月と続くと、人は少しずつ諦め始める。「うちのような会社に応募が来るはずがない」「業界的に仕方ない」「お金をかけるしかないのかもしれない」——そんな言葉が、経営者の口からこぼれるようになる。

採用がうまくいかないとき、多くの経営者は「会社に魅力がないのではないか」と考える。立地が悪い、給与が低い、知名度がない。そういう自己否定のループに入ると、採用活動そのものへの意欲が失われていく。「どうせ出しても来ない」という前提で求人を出しても、それは相手に伝わる。

問題は、会社の魅力ではないことが多い。その魅力が「言語化されていない」「伝わる形になっていない」「そもそも届く場所に出ていない」ことにある。求人票は出している。でも、誰に向けて、何を伝えようとしているのかが曖昧なまま——そういう状態になっていることが少なくない。

でも、「応募ゼロ」から採用活動を変えた会社がある。

今回紹介するのは、そういう会社の話だ。九州の建設・設備業、北陸の歯科クリニック、東北の建設業、中国地方の製造業。業種も地域も規模も違う。共通しているのは、支援が始まった時点で「応募がほぼゼロ」という状態だったこと。そしてもう一つは——「それでも変えようとした」ということだ。

採用活動に正解はない。しかし、「変えると決めた会社」と「変えないままでいる会社」の間には、時間が経つほど大きな差が開いていく。

どうやって応募ゼロを脱したのか。何がきっかけで変わり始め、何をどう変えたのか。
4社の記録をたどる。

一つだけ先に伝えておきたいことがある。この4社に共通しているのは、「特別な予算があった」でも「有名な会社だった」でもない。「自分たちの採用活動を、自分たちで変えようとした」——ただそれだけだ。

第1話|建設・設備業 × 九州(従業員20名弱)|採用ゼロから半年で若手4名採用

出発点:社員の最年少は30代半ば。「うちに若い人が来てくれるのか」

給排水・空調・土木工事を手がける、九州の建設・設備会社。

社員数は20名弱。地域のインフラを長年支えてきた会社で、技術力への自信も、社員想いの経営文化もある。それなのに採用だけが動かなかった。

最大の問題は年齢構成だった。社員の最年少が30代半ば。20代がいない。このまま採用が止まれば、10年後に現場を担う人間がいなくなる——その危機感が、経営層の間にじわじわと広がっていた。

採用活動はこれまで外部の支援会社に任せていた。しかし自社にノウハウは残らず、施工管理・配管工の応募はほぼゼロが続いた。年間休日が約100日と、条件面でも競合に見劣りする部分がある。「うちに若い人が来てくれるのだろうか」という問いに、誰も自信を持って答えられない状態だった。

自社への肯定感が揺らいでいた。それが、採用活動の最大の障壁になっていた。

転換点:「自分たちの魅力」を、社員の言葉から掘り起こす

スケッチが最初に着手したのは、求人票でも媒体選定でもなかった。社内インタビューだ。

経営層から現場社員まで10名に徹底的なヒアリングを実施した。「この会社のどこが好きか」「なぜここで働き続けているのか」「この仕事の誇りはどこにあるか」——そういう問いを丁寧に重ねていった。

インタビューを進めるなかで、見えてきたものがあった。地域の水道・空調インフラを支えているという仕事の誇り。長年の取引実績に裏打ちされた技術力。小規模だからこそ実現できるフラットな職場の空気感。「言葉になっていなかった魅力」が、対話を通じて初めて形になっていった。

重要なのは、このプロセスが採用活動だけでなく、社員自身に変化をもたらしたことだ。インタビューを受けた社員たちが「自分たちの会社ってこんなにいいところがあるんだ」と気づく。その気づきが、採用活動への当事者意識を生む。「いい人材がいたら声をかけよう」という姿勢が自然と芽生え始める。採用活動は、インタビューの瞬間から既に始まっていた。

それらを4つの魅力因子(目標・活動・構成員・特権)として整理し、求人原稿・写真・メッセージを全面的にアップデートした。採用活動は、地域イベントや合同説明会への参加、地元出身者や移住希望者への訴求なども組み合わせながら再設計した。

変革のプロセス:採用活動を「社長の仕事」から「会社全体のテーマ」へ

採用活動を変えるとき、見落とされがちなのが「社員の巻き込み」だ。

この会社では、求人原稿を変えるだけでなく、社員がSNSで発信したり、知人を紹介しやすい環境を意図的に整えた。「誰かが担当している採用活動」ではなく、「会社全員で関わる採用活動」へと位置づけを変えていくことが、長期的な採用力を高める上で欠かせないからだ。

現場のことを一番よく知っているのは、その会社に今いる社員たちだ。どんな人が活躍しているか。どんな価値観を持った人が合うか。何が入社の決め手になったか。そういうリアルな情報を持っているのは、現場の社員だ。だからこそ社員を巻き込むことは、採用活動の質を上げることに直結する。

面接対応のスピードも見直した。応募が来てから返信するまでのリードタイムを短縮し、選考体験そのものを改善した。採用活動は「選ぶ行為」であると同時に、「選んでもらう行為」でもある。応募者が「この会社に入りたい」と感じるかどうかは、求人票だけでなく、最初の接点での印象に大きく左右されることもある。

支援期間は約半年。その間、改善サイクルを回し続けることで、採用活動が「やったら終わり」ではなく「育てていくもの」として社内に根づくよう設計した。

結果:半年で応募10名超、4名採用。応募単価6,000円

結果は明確だった。

応募がほぼゼロだった状態から、半年で10名超の応募が集まった。採用数は4名——20〜30代の未経験者2名、経験者2名。若年層の採用に成功したことは、この会社の未来にとって大きな意味を持つ。社員の最年少が30代半ばだった組織に、初めて20代が加わった。

応募単価は約6,000円。高額な費用をかけずとも、採用できることが証明された。

そして数字と同じくらい重要な変化があった。支援を経て、この会社からこんな言葉が出た。

「これほど成果が出るとは思っていなかった。本当に感謝している」
「採用活動が”誰かの担当業務”ではなく、会社全体のテーマになった」

採用活動が、組織の文化として根を張り始めた瞬間だ。

この会社の変革の本質

変わったのは、採用手法だけではない。「採用活動とは何か」という認識そのものも変わった。

外部に任せるものから、自分たちで育てるものへ。求人票は「自社の魅力を積み上げていく資産」へ。そしてインタビューを通じて、社員自身が「自分たちの会社の良さ」を言語化できたことが、採用活動だけでなく、組織全体の“自社肯定感”を回復させた。

「採用活動がうまくいかない理由」を外に求めていた会社が、「自分たちの強みを自分たちで伝える」という姿勢に変わった。その転換が、すべての起点になった。

応募は、魅力がある会社に自然と集まるものではない。魅力を「伝えられる会社」に集まるものだ。この会社はそのことを、半年間の実践を通じて体得した。

第2話|歯科クリニック × 北陸(従業員18名)|1年間応募ゼロ→歯科医師の採用に成功

出発点:予約は数か月先まで満杯。なのに、働き手が来ない

開院30年。北陸地方に根ざした歯科クリニックだ。

技術力には定評がある。患者の予約は数か月先まで埋まっている。経営も安定している。それなのに採用だけが上手くいかなかった。直近1年間の応募数は、ゼロ。

採用担当者は、総務・経理との兼務だった。本来の業務を抱えながら採用活動にも対応しなければならない。でも何をすればいいかわからない。「求人を出したことはあるけれど、反応がなかった」——そういう経験が積み重なるうちに、採用活動そのものへの意欲が少しずつ削られていった。

このクリニックが抱えていた課題は、採用ノウハウの欠如だけではなかった。「やってみたけど来なかった」という体験が、「出しても無駄かもしれない」という前提をつくり上げていた。その前提があると、求人票を出す際のエネルギーが下がる。文章に熱量が生まれない。応募者への対応が受け身になる。負のサイクルが静かに続いていた。

歯科医師が不足すれば、診療できる患者数の天井が決まる。採用活動が進まなければ事業の成長も止まる。経営者はそのジレンマの中にいたが、何をすればいいのかわからないまま時間だけが過ぎていた。

「どうせ来ない」という空気は、気づかないうちに採用活動を止める。出しても来ない、出すのをやめる、ますます来ない——そのサイクルが続いた末の、1年間ゼロだった。

「何をやらないか」から設計した

スケッチが支援に入って最初に確認したのは、採用担当者が実際に使える時間だった。

総務・経理との兼務。限られたリソースの中で何ができるかを正直に洗い出し、やることとやらないことをまず決めた。全部やろうとすれば本業に支障が出て、採用活動が続かなくなる。「何をやるか」と同じくらい「何をやらないか」が重要だった。

採用活動全体の課題を整理し、ボトルネックを特定した。自社HP内にリクルートページを新設し、応募の入り口を整えた。職種ごとに採用手法を選び直し、一回やって終わりではなく、改善を重ねながら精度を上げていける仕組みに作り変えた。

同時に変えたのが、採用活動に対するスタンスだ。求人を出して待つ、来なければ諦める——そのサイクルから抜け出すために、「見直す・確認する・調整する」という動き続ける採用活動へ転換した。応募者への返信スピードも改善した。どれだけ良い求人票をつくっても、応募後の対応が遅ければ意味をなさない。採用活動は求人票だけではなく、応募後のすべての接点で成否が決まる。

兼務という制約の中で「動ける採用活動」を設計したことで、採用担当者は少しずつ手応えをつかみ始めた。

「やっと自分たちでできる気がしてきた」——そういう感覚が生まれたとき、採用活動は本当の意味で動き始める。知識よりも先に、その感覚が必要だった。

採用活動は「待つ」から「動く」へ。その転換は、大きな予算や専任スタッフがなくても起こせる。必要なのは「今あるリソースで何ができるか」を正直に見つめ、その中で動き続けることだった。

半年で7名の応募。そして「続けられる状態」が生まれた

半年で応募7名。採用2名——最も必要な人材であった歯科医1名、歯科助手1名。

1年間ゼロだった応募が、動き出した。

しかしこの支援が生んだのは、採用数だけではない。採用担当者のノウハウとリテラシーが向上し、「支援が終わっても自分たちで続けられる」状態になったことが、本質的な成果だ。一時的な成功ではなく、繰り返せる仕組みとして採用活動がクリニックの中に根づいた。

担当者が変わっても、体制が変わっても、動かし続けられる採用活動。それが、この数か月間でつくられたものだった。

支援が終わることが、このクリニックにとって「終わり」ではなく「ここから自分たちで続けていく」という新しいスタートになった。それが、この支援の本当のゴールだった。

第3話|建設業 × 東北(従業員10名)|震災後の採用ゼロを脱した、2代目社長の決断

ある事務員の変化

「採用業務、とても楽しい!」

この言葉が出たのは、支援が始まってから半年ほど経った頃だ。採用担当として動き始めたのは、もともと経理や総務を担っていた事務員だった。採用の知識はゼロ。求人票の書き方も、媒体の使い方も、面接の進め方も、何もわからない状態から始まった。

最初は不安の方が大きかった。「自分が採用の担当をやっていいのか」という感覚を持ちながら、それでも少しずつ動き始めた。求人票を書いてみる。応募者に連絡してみる。面接に同席してみる。うまくいかないこともある。でも「次はこうしてみよう」が生まれる。その繰り返しが、担当者を変えていった。

その人物が、数値分析やABテストを自分から試せるまでに変わった。そして「楽しい」と言った。

この変化が何を意味するのか。それはこの会社が歩んできた記録を追えばわかる。

出発点:震災で半減した組織。応募ゼロが続く日々

東日本大震災は、多くの会社に深い傷を残した。

東北地方のこの建設会社も、そのうちの一つだ。震災前は20名いた社員が、震災を機に10名まで減少した。復興需要で受注は回復してきたが、人が足りない。ハローワークに求人を出しても、応募はゼロが続いた。

会社のホームページは存在しなかった。採用のノウハウも、専任の担当者もいない。採用活動は、社長と他業務を兼務する事務員が担っていたが、採用活動らしい活動ができないまま、時間だけが経過していた。

「何をすればいいかわからない」という閉塞感はじわじわと組織を蝕む。受注が回復しても、人が増えなければ対応できる仕事の量に限界がある。成長できるはずの会社が、人手不足によって成長を止められていた。

唯一の出口が見えたのは、世代交代のタイミングだった。創業者の父から、息子へ。新しい代表は採用強化を決断した。「このまま人が増えなければ、会社の未来がない」という危機感と、「自分の代で変えたい」という意志。その決断が、すべての起点になった。

土台をつくり、人を育てた

スケッチが最初に着手したのは、採用活動の土台づくりだった。

Web上に自社の情報がほぼゼロだったこの会社にとって、HPをつくることは採用活動の起点を整えることと同義だった。HPがなければ、求人票を見た応募者候補が会社を調べようとしても何も出てこない。まず「会社が存在する」ことを示す必要があった。

HPの作成に伴走しながら、媒体の組み合わせを設計し、選考プロセスを改善した。応募者への対応の質とスピードを高め、継続的な改善サイクルを構築した。

そしてもう一つ、力を入れたのが採用担当者の育成だ。説明会資料の作成、応募者への連絡対応、面接時のクロージング——採用活動の各プロセスを、事務員自身がこなせるよう、ロールプレイングを重ねながら伴走していった。「うまくできた」「次はこうしてみよう」という小さな積み重ねが、担当者の自信をつくっていった。

目指したのは「社長だけが対応できる状態」ではなく、「社長を含む複数人で、誰でも対応できる状態」だ。採用活動が一人に依存していれば、その人が動けなくなった瞬間に止まる。会社全体の力として採用活動が根づくことが、本当のゴールだった。

採用担当者が育つことは、会社の採用活動が永続的に強くなることを意味する。人が変わっても、ノウハウは残る。仕組みは続く。この会社の支援では、そのことを常に意識しながら伴走した。

「土台をつくる」作業は地味で時間がかかる。すぐに結果が出るわけではない。しかしここを丁寧に整えることが、後の採用活動の再現性を決める。焦って応募者を集めようとするより、「応募者が来たときに確実に対応できる体制」をつくることが先だった。この会社の支援では、その順番を崩さなかった。

また、担当者の育成において意識したのは「採用活動を楽しめる状態をつくること」だった。義務感や焦りから採用活動をしても、応募者にはそれが伝わる。担当者自身が採用活動に前向きに関われる環境を整えることが、長期的な採用力の底上げにつながると考えたからだ。

結果:応募ゼロ→5名応募・3名採用。そして「楽しい」が生まれた

応募がゼロだった状態から、5名の応募、3名の採用に至った。採用活動が「誰でも対応できる状態」になったことで、大型受注が来ても人員を確保できる体制が整い、震災後の縮小から少しずつ成長軌道に乗り始めた。

数字は小さく見えるかもしれない。でも、この会社が置かれていた状況を考えれば、5名の応募・3名の採用が意味することは大きい。HPもなく、ノウハウもなく、ゼロから始まった採用活動が、半年で再現可能な仕組みになった。採用活動の担い手が育ち、会社に採用活動の文化が生まれ始めた。それが、この支援の本当の成果だ。

そして冒頭の言葉に戻る。「採用業務、とても楽しい!」

採用担当者がそう感じているとき、採用活動は義務から文化に変わっている。その変化こそが、支援が終わった後もこの会社が採用活動を続けていける理由だ。2代目社長が「変えたい」と決断し、一人の事務員が「楽しい」と感じるまで育った。その二つが揃ったとき、採用活動は本当の意味で組織の力になる。

第4話|製造業(自動車部品)× 中国地方(従業員約30名)|採用ゼロ・事業縮小の危機から11名採用へ

出発点:「事業縮小もやむを得ない」

中国地方の自動車部品メーカー。大手自動車メーカーとの取引実績を持ち、業績基盤は安定していた。

ところが数年前から、日本人採用が完全に停滞した。応募数はゼロ。人手不足を補うために外国人採用を進めてきたが、それに伴う費用が業績を圧迫するようになった。

採用担当者は他業務と兼務の事務職で、専任不在。何が足りないのかもわからない。改善しようにも、何から手をつければいいかが見えない。閉塞感の中で時間だけが過ぎていった。

こういう状況に置かれた会社に共通する感覚がある。「自分たちだけがうまくいっていない」という孤立感だ。業界全体が難しいのかもしれない。うちの会社に何か致命的な問題があるのかもしれない。その問いに答えが見つからないまま、採用活動は止まっていく。

そして経営陣の中に、こんな言葉が出るようになった。

「事業縮小もやむを得ないかもしれない」

採用の停滞が、事業の存続そのものを揺るがすレベルにまで達していた。採用問題は、経営問題になっていた。

「見える化」と「組織化」で変えた

スケッチが最初に行ったのは、現状の可視化だった。

応募経路ごとの数値を整理し、面接率・採用率のボトルネックを洗い出した。どこで応募者が離脱しているのか。どの経路からの応募が質・量ともに優れているのか。「なんとなくうまくいっていない」を、データで把握できる状態に変えた。ボトルネックが見えれば、打ち手の優先順位が明確になる。

採用手法を職種別に設計し直し、再現可能なマニュアルをつくり、継続的な改善サイクルを構築した。予算から逆算して施策の優先順位をつける考え方も、担当者とともに整理していった。

もう一つ変えたのが、体制だ。支援当初は事務職1名が全てを担っていたが、他の事務職も採用活動に巻き込む設計に変えた。広報活動と採用活動の役割を分担し、1名体制から2名体制へ。この変化が、採用活動の強化スピードを大きく上げた。

担当者育成も並行して進んだ。数値から課題を読む、施策の優先順位をつける、ABテストを試みる——「感覚でやる採用活動」から「仕組みで動かす採用活動」へと変わった。担当者の意識が変わり、採用活動そのものを引っ張るようになった。

採用担当者が「自分で考えて動ける」状態になることは、支援が終わった後の会社の採用力を決定する。ノウハウが人に宿り、組織に残る。それが、外部依存から抜け出すことの本当の意味だ。

この会社の採用担当者が変わった過程には、一つの共通点がある。「何をすればいいかわからない」から「次に何をすべきか自分で考えられる」へ——その転換だ。採用活動はマニュアル通りに動けばいいものではなく、状況に応じて判断し続けるものだ。その判断力が担当者の中に育ったとき、採用活動はようやく会社の資産になる。

応募ゼロ→30名、11名採用。事業縮小の危機から事業拡大へ

応募がゼロだった状態から、30名の応募。採用数は11名。人材確保が実現したことで大型受注にも対応できるようになり、業績が拡大した。

事業縮小を検討していた会社が、事業拡大へと転じた。

採用活動が変わることで、会社の未来が変わる。この会社はその現実を、最も劇的な形で示した。「応募ゼロ・事業縮小の危機」から「大型受注・事業拡大」へ。その間にあったのは、特別な予算でも、有名な求人媒体への大量出稿でもなかった。現状を可視化し、体制を整え、担当者を育てる——その地道な積み重ねだけだった。

11名という採用数は、この会社の規模(約30名)からすれば、組織の顔ぶれを大きく変えるほどの人数だ。採用が止まっていた会社が、1年足らずでそれだけの人材を迎え入れた。その変化が、会社全体の空気を変えていく。

そしてもう一つ。外国人採用への依存という課題が、日本人採用の仕組みを整えることで解消された。コストをかけることが解決策ではなかった。自分たちの採用力を高めることが、答えだった。

まとめ

4社のストーリーを読み終えて、一つ気づくことがある。

どの会社も、最初から「すごい採用活動」をしようとしたわけではなかった。社員に話を聞くこと。担当者が使える時間を洗い出すこと。現状の数値を整理すること。やったことはどれもシンプルだ。

4社の「変化の入り口」は、全て同じだった。

九州の建設・設備会社では、社員一人ひとりへのインタビューから始まった。北陸の歯科クリニックでは、採用担当者が使える時間を正直に洗い出すことから始まった。東北の建設会社では、2代目社長の「変えたい」という決断から始まった。中国地方の自動車部品メーカーでは、現状をデータで把握することから始まった。

やり方は違う。でも共通しているのは、「今の自分たちにできることから、まず始めた」ということだ。

4社の変革の本質も、それぞれ違った。第1話の会社が変えたのは、社員の自社への見方だった。第2話の会社が変えたのは、採用活動への向き合い方だった。第3話の会社が変えたのは、採用活動を担う人そのものだった。第4話の会社が変えたのは、採用活動を動かす体制だった。

「どこを変えるか」は、会社によって違う。でも「変えようとする意志」なしには、何も動き出さない。

もう一つ、4社に共通することがある。支援の中で「こうしろ」と指示されたわけではない、ということだ。どんな支援も、その会社の実情に合わせてゼロから設計される。何が課題で、何から手をつけ、どこをゴールにするか。その答えは、その会社の中にしかない。スケッチはそれを一緒に探し、形にする伴走者だ。

4社のストーリーに登場したのは、大企業でも有名企業でもない。地域の中で仕事をし、人を必要としている、ごく普通の中小企業だ。でも「変えようとした」会社と「変えないままでいる」会社の間に、じわじわと差が生まれていく。その差は、今はまだ小さいかもしれない。でも時間が経つほど、埋めにくくなっていく。

採用活動がうまくいかない会社に、共通して欠けているのは「魅力」ではない。魅力を「言語化する機会」と「伝える仕組み」と「動かし続ける体制」だ。それらはいずれも、外から買ってくるものではなく、その会社の中で育てていくものだ。

「応募ゼロ」は、変えられる何かが、まだそこにある——というサインだ。

あなたの会社が今、「応募ゼロ」の状態にあるとしたら。それは終わりではなく、始まりだ。

今、あなたの会社の採用活動は動いているか。止まっているとしたら、それはどこで詰まっているのか。その問いを立てることが、変化の最初の一歩になる。採用活動は、現状を「見る」ことから始まる。そして見えれば、動ける。

どこから始めるかは、会社によって違う。でも、始めることができるのは今だ。4社がそれを証明したように。


▼ Vol.02では「採用コスト」をテーマに取り上げる予定。年間600万円かけていた採用費用を180万円まで圧縮した産業廃棄物事業者、採用単価を0円にした600名規模の医療法人など、コストの常識を覆した会社たちの物語をお届けする。

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