求人を出す。応募が来ない。ようやく採用できても、なかなか続かない。目の前の対応に追われ、振り返る余裕がないまま、季節が変わればまた同じ求人を出す。中小企業の採用担当者や経営者から話を聞いていると、こうした時間が何年も繰り返されていることがある。
そして、ある日ふと立ち止まる。「私たちは、毎年同じことを繰り返しているだけなのかもしれない」と。
採用活動がうまく進まないとき、担当者の知識や努力が足りないと思われがちだ。しかし実際には、担当者個人の力量よりも、採用が「特定の誰か一人の仕事」として孤立し、そこで得た経験や気づきが会社に残らないことに原因があるケースは少なくない。担当者が変われば、また最初から。忙しくなれば、改善は後回し。採用活動が会社の中で積み上がらない限り、同じ悩みは形を変えて何度でも戻ってくる。
今回紹介するのは、そんな繰り返しから少しずつ抜け出していった5社の物語である。従業員8名の電気通信工事業から、150名規模の老舗小売業まで。業種も規模も、抱えていた課題も異なる。それでも5社には、ある共通点があった。採用が「特定の誰かが抱える仕事」から、「会社の中で考え、続けていく習慣」へと変わっていったことである。
ある会社では、支援期間中の採用実績はゼロだった。それでも、支援が終わった後に自社の力で2名を採用した。別の会社では、採用活動を「悩みの種」と語っていた経営者が、やがて「一番楽しい経営活動」と話すようになった。数字の変化は大切だ。しかし、今回の5社に起きた変化は、数字だけでは測りきれない。伴走する期間が終わった後も、その会社の人たちが自分たちで考え、採用活動を回し続けられるか。そこに焦点を当てながら、5つの物語を見ていきたい。
目次
ナビサイトへの掲載、合同企業説明会への出展。新卒採用で一般的に必要とされる施策には、一通り取り組んできた会社だった。決して何もしていなかったわけではない。それでも母集団の伸びは思うようにいかず、選考に進んでも、最後の内定承諾までつながるかどうかには不安が残っていた。
採用担当者自身にも、言葉にしにくいもどかしさがあった。決められた手順を滞りなく回すことはできる。しかし、「なぜ、この施策を行うのか」「今の数字を見て、次に何を変えるべきか」と問われると、自分の言葉では十分に語れない。指示された業務をこなすことはできても、採用活動そのものを組み立てるところまでは踏み出せずにいた。
こうした状況は、この会社だけのものではない。やるべきことをきちんと実行しているのに結果が出ないと、「広告費を増やした方がいいのではないか」「別の媒体に変えるべきではないか」と、外に新しい答えを探したくなる。もちろん、それが必要な場合もある。ただ、外に向けた打ち手を増やす前に、社内にすでにある人や言葉、つながりを見直す余地が残っていることも多い。
状況を動かすきっかけになったのは、目新しい採用手法ではなかった。あらためて目を向けたのは、すでに社内で働いている社員一人ひとりと、その人たちが持つつながりだった。
社員が母校の後輩に「うちの会社、意外と面白いよ」と話す一言は、ときに外部の広告より強い説得力を持つ。そこには、実際に働いている人にしか語れない温度がある。この会社が最初に着手したのは、社員の善意や偶然に頼っていた紹介を、誰もが迷わず動ける仕組みに変えることだった。
まず整えたのは、社員リファラルの導線である。母校の後輩や知人を紹介したいと思ったとき、誰に声をかけ、どのようにつなぎ、その後どう進むのか。紹介する側が抱きやすい小さな不安を一つずつ取り除き、思いついたときに迷わず動ける流れをつくった。
並行して、体験型のオープンカンパニーを新設した。会社説明を一方的に聞く場ではなく、仕事や社員との関わりを通じて、学生が「ここで働く自分」を具体的に想像できる時間にする。情報を伝えるだけではなく、入社後の景色を感じてもらうことにこだわった。
早期選考の推進には、KPI運用を組み合わせた。エントリー、説明会参加、選考、内定、承諾。それぞれの段階に数値目標を置き、どこで候補者が離れているのかを見えるようにした。これまで感覚で捉えていた選考プロセスが、数字をもとに話し合い、改善できるものへと変わっていった。
そして、この事例で最も時間をかけたのが、採用担当者自身の育成だった。「この施策をやってください」と答えを渡すのではなく、「なぜ必要だと思うか」「数字から何が見えるか」を一緒に考える。すぐに正解を教えず、自分の頭で考え、言葉にし、次の一手を決める経験を重ねていった。
一見すると、遠回りに見える関わり方かもしれない。施策の手順だけを伝えれば、目の前の対応は早く終わる。しかし、「なぜ」が担当者の中に残らなければ、学生の動きや採用市場が変わったとき、また誰かの指示を待つことになる。時間をかけて考える力を育てることが、結果として、変化に強い採用活動への近道になっていった。
採用数は前年対比160%まで伸びた。当初の計画を上回る内定承諾が集まり、予定していた募集枠を急きょ拡大するという、うれしい誤算も生まれた。かつては承諾までつながるか不安を抱えていた採用活動が、「さらに何人迎えられるか」を考える段階へ進んだのである。
リファラル、オープンカンパニー、KPI運用。個別に見れば、いずれも採用手法の一つにすぎない。この会社の本質的な変化は、担当者が「言われたことを実行する人」から、「目的を考え、自ら施策を企画し、推進する人」へ変わったことにある。仕組みは、運用する人が意味を理解し、自分の意思で動かして初めて生きたものになる。
新卒採用は、一度の失敗が翌年の母集団形成にまで影響することもある、息の長い活動である。だからこそ、成功した手法をそのまま真似るだけでは続かない。環境が変われば、必要な打ち手も変わる。この会社が時間をかけて育てたのは、目先の承諾数だけではない。状況を見て、自分たちで考え、次の一手を選び続けられる力だった。
創業から100年を超え、地域に根差して複数の業態・店舗を展開してきた小売企業。長い歴史と安定した看板を持つ一方、販売職では契約社員という雇用形態を取ってきたこともあり、採用は長年安定していなかった。さらに、頼りにしていた人事担当者が退職し、それまで積み上げてきた採用ノウハウの多くが、会社の中に残らないまま失われていた。
その結果、社長自身が採用活動の最前線に立ち続けることになった。店舗や事業を今後さらに広げていくには、人を迎え続けなければならない。しかし、採用活動がいつまでも社長一人の経験と判断に頼る状態では、事業の広がりに追いつかない。そんな危機感を抱える中で、支援が始まった。
支援開始と同時に、新たな人事担当者を配置することになった。ただし、採用実務の経験はほとんどない。求人の出し方も、応募者の管理も、面接の進め方も、何から手をつければいいのか分からない。100年企業の採用を引き継ぐには、あまりにも手探りな出発だった。
長い歴史を持つ会社ならではの難しさもあった。これまでのやり方に対する信頼がある一方で、なぜそのやり方なのかは言語化されていない。担当者が替わるたびに、経験は個人の中で途切れ、採用活動はまた最初から始まる。属人的な運用が悪かったというより、経験を会社の知恵として蓄積する器がなかったのである。
この事例を語るうえで欠かせないのが、約1年半という支援期間と、社長自身の関わり方である。社長は採用を担当者に丸ごと預けるのではなく、毎回のミーティングに参加し続けた。そこで、自らが大切にしてきたこと、会社をどこへ向かわせたいのか、どんな人と働きたいのかを、何度も言葉にした。
「任せる」とは、急に手を離すことではない。社長だけが持っていた判断軸を、対話を通じて少しずつ担当者へ手渡していくことでもある。経営者が採用の最前線に立つこと自体は悪くない。しかし、それがいつまでも「社長にしかできない仕事」であり続ければ、事業が広がるほど社長の負担も増えていく。この会社が選んだのは、社長が採用から退く道ではなく、社長の想いを会社の仕組みへ変えていく道だった。
支援は、中途・新卒両方の採用戦略を描くところから始まった。会社紹介資料を新たに作成し、AirWorkを活用した採用サイトを構築。ハローワーク、engage、ジモティー、Googleビジネスプロフィールなど、複数の媒体へ求人を展開していった。
一つの媒体に絞らなかったのは、業態も職種も店舗も幅広い会社だったからである。販売職と本社職では、仕事を探す人も、響く言葉も違う。店舗や職種ごとにふさわしい入口をつくり、それぞれの求人が必要な人に届く状態を目指した。
応募者管理シートも整えた。店舗ごとに点在していた応募や選考の状況を、本社が同じ画面で把握できるようにする。それまで「最近、あの店舗は人が足りないらしい」と感覚的に伝わっていた情報が、数字として積み上がり、必要なタイミングで動けるものへ変わっていった。
Instagramの運用改善や、リファラル採用専用の求人設計も進めた。さらに、採用担当者だけでなく店長クラスも参加する面接官トレーニングを実施。応募者と直接向き合う現場の管理職まで巻き込み、選考の質を会社全体で底上げしていった。
この研修の目的は、面接スキルを高めることだけではなかった。店長という現場の要に、「新しいことを試してみる」という姿勢を育てることも意図されていた。長く続いてきた会社では、これまでのやり方が現場を守ってきたという自負がある。だからこそ、新しい取り組みを一方的に押しつけるのではなく、現場が意味を理解し、自分たちのものにしていく過程が必要だった。
そして1年半を通じて続いたのが、採用経験のほとんどなかった担当者への伴走である。数字を確認し、求人を直し、現場の声を聞き、次の打ち手を考える。社長もその場に参加し続けたことで、社長の中にあった想いや判断軸が、少しずつ担当者の言葉へと変わっていった。
1年半の支援を通じて、契約社員・パート合わせて計15名を採用した。採用単価は3.3万円に収まり、さらに数年ぶりとなる新卒採用の再開にもつながった。長く止まっていた採用活動の選択肢が、もう一度動き出した。
老舗企業らしい安定感を守りながら、新しい採用活動の形を取り入れられたのは、社長自身が変化を主導しながらも、担当者や現場に役割を手渡していった1年半があったからだろう。
100年という歴史を持つ会社にとって、変化には慎重さが伴う。この事例の核心は、社長が採用活動を「任せた」ことではなく、「一緒に取り組みながら任せられる状態をつくった」ことにある。採用経験がほとんどなかった担当者が、自ら改善策を提案できるようになったのは、社長が離れたからではない。近くで想いと判断軸を伝え続け、やがて担当者自身の言葉で語れるまで伴走したからである。会社の歴史を守ることと、やり方を変えることは矛盾しない。受け継ぐべきものを言葉にし、仕組みに変えたことで、この会社の採用は次の世代へ進み始めた。
従業員8名。採用専任者を置く余裕はなく、社長が本業のかたわらで採用活動を担っていた。頼れるのはハローワークと地場の媒体。毎年のように募集を出し、応募が来ることはあっても、採用には結びつかない。「何を変えればいいのか分からない」。採用活動のたびに期待し、うまくいかなければまた振り出しに戻る。出口の見えない感覚が続いていた。
8名という規模で、社長が採用活動を担うことは珍しくない。むしろ、現場を最もよく知る社長だからこそできる採用もある。ただ、本業に追われる中では、「今回の募集がうまくいくか」という単発の勝負になりやすい。求人を出した後に何が起きたのか、面接で何を感じたのか、次は何を変えるのか。立ち止まって振り返る時間がなければ、経験は積み上がらない。
毎年、同じ媒体に似た求人を出し、結果が出なければ「今年もだめだったか」で終わる。社長は一人で悩み、社員は採用活動の中身をほとんど知らない。採用が会社の課題でありながら、会社の中で話されることの少ない仕事になっていた。
この事例で特徴的だったのは、支援のゴールそのものを変えたことだ。何人採用するかだけを追うのではなく、採用活動を一度きりの募集から、会社の中で続いていく仕組みへ変える。そのことに焦点を置いた。
採用導線を整え、求人内容を見直し、無料で使えるチャネルを広げる。そして何より、月に2回、社長と社員とで採用について話し合う「採用ミーティング」を新たに設けた。最初から活発な意見が出たわけではない。それでも、採用活動を社長の頭の中だけに置かず、会社として取り組む場をつくったことが、後に大きな意味を持つことになる。
支援期間は約6か月。派手なキャンペーンを行ったわけでも、高額な媒体を導入したわけでもない。求人内容を丁寧に見直し、無料チャネルを着実に活用し、月に2回、採用ミーティングを実施する。
採用ミーティングは、少しずつ会社の空気を変えていった。最初は「支援があるから開く会議」だったかもしれない。しかし回を重ねるうちに、社員が採用活動について考え、意見を出すことへの抵抗が薄れていった。どんな人と働きたいか。見学に来た人に何を伝えたいか。これまで社長一人が抱えていた問いを、会社の中で共有できるようになっていった。
支援期間中に決まった採用は、0名だった。数字だけを見れば、「成果が出なかった支援」と映るかもしれない。採用数という結果が求められる以上、その重さを軽く扱うことはできない。
しかし、支援終了から10か月が経った頃、この会社は自社の力で2名を採用した。一人は未経験の中途社員。もう一人は、工業高校を卒業した新卒社員だった。支援中には届かなかった結果が、支援が終わった後に実を結んだ。
そして、支援中に生まれた採用ミーティングは、その後もなくならなかった。外部の伴走が終わっても、採用について立ち止まり、考え、話す時間が会社の中に残り続けた。
「毎年募集しても結果が出ませんでしたが、丁寧に見学や面接を重ねる中で、ようやく良いご縁に恵まれました。今も社内で採用MTGを続けています。少しずつですが、確実に前に進んでいます」
お客様から届いたこの言葉には、採用人数だけでは見えない変化が表れている。「採れたから続ける」のではなく、「続けたから、採れる会社に近づいた」。この会社の歩みは、そんな順番だった。
この物語が示すのは、成果が現れるタイミングは、必ずしも支援期間の中に収まらないということだ。採用活動が「社長一人の仕事」から、社員が一緒に考える「会社の仕事」へ変わったこと。それこそが、この事例における本質的な変化だった。数字は後からついてきた。だからこそ、その数字は外部の力がなくなった後も残るものになった。
もし支援期間中の実績だけで評価していたら、この取り組みは「成果ゼロ」と片づけられていたかもしれない。しかし実際には、月2回のミーティングが、会社に「採用について考える時間」を残した。その時間が、見学や面接を丁寧に重ねる姿勢につながり、10か月後の2名の採用へつながったのだろう。採用活動の変化は、いつも分かりやすい数字から始まるとは限らない。まず会話が変わり、行動が変わり、その後に結果がついてくることもある。
旋盤加工をはじめとする機械加工の技術者が、慢性的に不足していた製造業の会社。採用手法はほぼハローワークに限られ、応募はきても月1〜2件。採用競合の多い業界で、限られたリソースの中から人を探す難しさを、長い間抱えていた。
技術職の求人は、言葉の選び方一つで届き方が大きく変わる。「旋盤加工技術者募集」という表現は、経験者には伝わっても、ものづくりに興味を持つ未経験者には仕事内容が想像しにくい。会社にとっては当たり前の専門用語が、求職者にとっては応募をためらう壁になっていた可能性があった。
さらに、一つのチャネルだけに頼っていると、そこで応募が伸び悩んだ時点で打ち手がなくなる。問題は応募数が少ないことだけではなかった。「ほかに何を試せばいいか分からない」という状態が続き、採用活動が止まってしまっていたことに、この会社の大きな伸びしろがあった。
大きな転換点は、求人を「掲載したら終わり」にしない方針へ切り替えたことだった。Indeed、ハローワーク、求人ボックスに加え、地元媒体や職業訓練校へのアプローチまで、無料で使えるチャネルを多方面に広げていった。
一つの入口で待つのではなく、複数の入口をつくり、それぞれを試しながら育てる。この会社にとって、採用活動を「正解を一度で当てるもの」ではなく、「試し、確かめ、変え続けるもの」と捉え直す初めての機会だった。
取り組みの軸になったのは、「掲載→モニタリング→改善→再掲載」というサイクルを、毎月欠かさず回すことだった。応募が少なければ、すぐに「この媒体はだめだ」と結論づけるのではなく、表示回数、閲覧、応募までの動きを確認し、タイトルや仕事内容、条件の見せ方を少しずつ変えていった。
技術職特有の専門用語も、求職者が仕事を想像しやすい言葉へ置き換えた。「旋盤」という単語だけで終わらせず、何をつくる仕事なのか、どんな機械を扱うのか、未経験からどのように覚えていけるのか。仕事を分解して伝えることで、経験者だけに閉じていた求人の入口を広げていった。
採用メンバーとの月次ミーティングでは、運用の考え方そのものを言語化した。「どの媒体に、どんな内容で、いつ出すと反応が変わるのか」「応募が増えないとき、どの数字から確認するのか」。対話を重ねる中で、採用広報やチャネル改善の知識が社内に蓄積され、担当者が自分たちで次の一手を考えられるようになっていった。
それまで月1〜2件だった応募は、9か月で総応募58件に増え、5名を採用した。そのうち1名は新卒社員だった。限られたチャネルで待つだけだった採用活動が、複数の入口から候補者と出会える活動へ変わった。
数字以上に象徴的だったのは、社内から新しい手法が自発的に提案されるようになったことだ。「次はこの言葉を変えてみよう」「このチャネルも試してみたい」。かつては言われた媒体に掲載するだけだった採用活動が、誰かが新しい案を持ち寄る活動になった。「挑戦する採用文化」という言葉が、この会社の日常に少しずつ似合うようになっていった。
「全く来なかった求人が、改善を続けることで本当に応募が来るようになった」
「常に新しい施策に挑戦する姿勢の大切さを実感した」
お客様の言葉にも、応募数だけではなく、採用活動への向き合い方が変わった手応えがにじんでいる。
一つひとつの施策は、決して特別なものではない。この事例の核心は、「毎月、結果を見て、次を考える」というリズムを社内に根づかせたことにある。採用活動は、良い求人を一度つくれば終わる仕事ではない。求職者の動きも、競合も、会社の状況も変わる。その変化に合わせて試し続けること自体が、会社の文化になっていった。
業界全体の需要は右肩上がり。仕事の相談は届く。それでも、人材が足りないために受注を断らざるを得ない。成長の機会が目の前にあるのに、人がいないことで手を伸ばせない。制御盤の設計・製作・据付を手がけるこの会社にとって、採用は人事の課題ではなく、事業の未来を左右する経営課題になっていた。
ハローワークへの掲載やSNSでの発信は行っていた。しかし、応募があっても面接や採用にはなかなか結びつかない。若年層からの応募は少なく、求める年齢層とのミスマッチが続く。選考途中の適性検査を受けないまま離脱する候補者も多く、せっかくの応募が次の段階へ進まなかった。
「応募がない」より、「応募はあるのに前へ進まない」方が、もどかしさは大きいことがある。入口までは来てくれているのに、どこで、なぜ離れているのかが分からない。この会社が向き合っていたのは、求人の露出だけではなく、応募後の体験を含む採用活動全体の設計だった。
この事例では、採用広報の土台づくりと選考フローの整備を、同時並行で進めた。まず、この会社で働く魅力を整理し、「この会社で働く意味は何か」「ほかの会社ではなく、ここを選ぶ理由は何か」を言葉にしていった。求人原稿や会社説明資料をつくる前に、会社自身が自らの魅力を理解するところから始めたのである。
Indeed、AirWORK、ハローワークを軸に求人原稿を一新した。あわせて、応募、面接、適性検査、内定までの流れをフローチャートにし、誰が、いつ、何を行うのかを明確にした。担当者ごとに連絡や判断がばらつく状態を減らし、候補者が迷わず次の段階へ進める選考をつくっていった。
InstagramやGoogleビジネスプロフィールの内容も見直し、会社説明資料も刷新した。求人だけで会社を理解してもらうのではなく、日々の発信や説明資料を通じて、職場の雰囲気や事業の魅力が一貫して伝わる状態を目指した。
発信だけを整えても、応募後の連絡や選考でつまずけば候補者は離れてしまう。反対に、選考フローだけを整えても、会社の魅力が伝わらなければ母集団は広がらない。この会社は、集めることと、選ばれること、そして選考を前へ進めることを別々にせず、一つの採用体験として整えた。その両輪の改善が、結果的に遠回りを避けることにつながった。
年間8件だった応募数は、8か月で51件に増え、製造職で3名の採用を実現した。面接率や適性検査の実施率も改善し、応募後の歩留まりも向上した。人手不足で受注を断っていた会社に、事業を前へ進めるための新しい選択肢が生まれた。
「今まで採用は悩みの種でしたが、今では一番楽しい経営活動になっています。採用がここまで会社を変えるとは思っていませんでした。大満足です」
お客様のこの言葉が物語っているのは、採用数の変化だけではない。採用という仕事そのものに対する、経営者の感情が変わったのである。できれば考えたくなかった課題が、会社の未来をつくる手応えのある活動へ変わっていった。
「悩みの種」から「一番楽しい経営活動」へ。この言葉の変化こそが、この事例の本質を最もよく表している。応募数や採用数の改善は、もちろん重要な成果である。しかしその手前で起きていたのは、採用活動を避けたい問題として捉えるのではなく、会社の魅力を見つめ直し、未来の仲間と出会う経営活動として捉え直す変化だった。
需要があるのに人手が足りず、受注を断らざるを得ない。その状況は、売上機会を失うだけでなく、「このまま成長できないのではないか」という重い不安を経営者に残す。魅力の言語化や選考フローの整備は、決して派手な作業ではない。それでも、その地道な積み重ねが、少しずつ不安を手応えに変えていった。採用が変わることで、会社が描ける未来まで変わり始めたのである。
5社の物語に共通していたのは、何だったのか。社員紹介の導線を整える。求人原稿を見直す。応募者の数字を確認する。月に一度、採用について話し合う。誰も知らない特別な採用手法があったわけではない。それぞれの会社に足りなかった小さなピースを見つけ、一つずつ埋めていった。
同じような施策を、すでに試したことのある会社も多いだろう。それでも、採用活動が回り続ける会社と、一度きりで止まってしまう会社がある。その違いは、施策そのものよりも、それを「続けられる形」にできたかどうかにあるのかもしれない。求人原稿を一度直して終わるのか、毎月数字を見ながら更新するのか。会議を一度開いて終わるのか、結果が出ない時期にも続けるのか。小さな差が、時間をかけて大きな違いになっていく。
支援期間中に数字が動いた会社もあれば、支援が終わってからようやく実を結んだ会社もあった。早く結果が出た方が優れている、という話ではない。大切なのは、外部の伴走にはいつか終わりが来るという前提に立ち、その後も会社自身の力で採用活動を回し続けられる状態をつくることだ。支援の終了が、採用活動の終了になってはいけない。
採用担当者が、自分の言葉で施策の目的を語れるようになる。社長一人が抱えていた問いを、社員と一緒に考えられるようになる。月1回のミーティングが、いつの間にか特別な予定ではなくなる。新しい提案が、外部からではなく社内から出てくる。
こうした変化は、一つひとつを見れば小さい。けれど、その小さな変化が積み重なると、採用活動は「やらなければならない業務」から、「会社の未来をみんなで考える習慣」へ変わっていく。仕組みが文化になるとは、立派な制度が完成することではない。誰かに言われなくても、必要な対話と改善が続いている状態のことなのだろう。今回紹介した5社は、その途上、あるいはその先にいる会社たちの記録である。
規模も業種も違う5社を動かしたのは、派手な一手ではなかった。求人原稿の見直し、社員への聞き取り、数字の確認、月1回のミーティング。振り返れば、多くの会社が明日からでも始められることばかりである。だからこそ、これは「特別な会社だけが実現できた成功譚」ではない。今、採用がうまくいかず、何から変えればいいか分からない会社にとっても、一つの道筋になり得る物語だ。最初から大きく変わる必要はない。まず一つ、会社の中で採用について話す時間をつくる。その小さな一歩から、文化は始まるのかもしれない。
次回は、採用そのものが事業成長の起爆剤になった会社たちの物語を紹介する予定だ。採用の仕組みが文化になり、その文化が新しい事業や売上、組織の可能性を動かしていく。人を迎えることが、会社の未来をどこまで変えられるのか。その具体的な姿を、次のVol.で見ていきたい。