ストーリー集

Vol.03|「若手採用ができない」と諦めていた。世代交代を実現した中小企業4社の物語

「若手が来ない」。多くの経営者からそう聞く。求人を出しても、応募はベテラン層ばかり。20代・30代の応募はゼロに近い。

若手が来ない理由として挙がるのはいつも同じだ。「体力仕事だから」「業界イメージが先行するから」「うちのような会社は選ばれないから」。そう口にした瞬間、話はそこで止まってしまう。原因が業界にあるとされてしまえば、自社にできることは残らないからだ。

しかし、その理由は本当に「業界そのもの」の問題なのだろうか。建設、製造、運送など、若手が集まりづらいといった声が多い業種でも、若手が集まり始めている会社がある。

今回紹介するのは、そんな4社の物語だ。

九州の建設会社は、創業70年という歴史を持ちながらも、社内に「うちに応募が来るのか」という不安感が根づいていた。関東の製造会社は、高い技術力を持ちながら、社員の平均年齢が50歳を超えていた。中国地方の建設会社は、地域屈指の技術力を持ちながら、「3K」というイメージの壁にぶつかっていた。そして東海の運送会社は、10年間、公募での採用実績がゼロという状況が続いていた。

業種も規模も、抱えていた事情もそれぞれ違う。だが4社に共通していたのは、「若手が来ない」という結果そのものではなく、その手前にある「自分たちの魅力を、まだ言葉にできていない」という状態だった。

業界のイメージそのものを、一社の努力だけで変えることはできない。だが、自社がどう見えているかは、自分たちで変えることができる。スケッチが伴走したのは、派手な広告でも、奇抜な採用手法でもなく、すでに社内にある魅力を掘り起こし、言葉にし、届け方を変えるという地道な作業だった。

特別な予算をかけたわけでも、業種を変えたわけでもない。それぞれの会社が、もとから持っていたものに向き合い、言葉として残した。その積み重ねが、採用活動という形になって表れていった。そして、この積み重ねこそが、支援が終わったあとも会社の中に残り続ける資産になっていく。

いずれの会社も、業種としては採用が難しいとされがちな分野だ。だが、その中でも実際に若手を採用できている会社と、できていない会社がある。その分かれ目がどこにあったのかを、4社それぞれの記録から見ていきたい。

目次

第1話|建設土木業 × 九州(従業員約20名)|70年企業が越えた「若手採用ゼロ」の壁

出発点:70年の歴史を持つ会社に漂っていた「不安」

創業70年を超える、九州のとある建設会社。土木工事を専門とし、地域の公共インフラを長年支えてきた。だが社内の年齢構成には、はっきりとした偏りがあった。現場は60代以上のベテラン社員が多く、中には定年を超えてなお現役で活躍する社員もいた。

このままでは5年後、現場を支える人材がいなくなる。誰の目にも明らかな課題だった。とはいえ、危機感が共有されていなかったわけではない。むしろ社内では、何年も前からこの先行きを案じる声が上がっていた。

問題は、その危機感を行動に変える手段が分からなかったことだ。採用活動はハローワークへの掲載のみ。自社のホームページもない。そして何より、社内に「うちのような会社に、若い人が応募してくれるのか」という空気が漂っていた。

70年の歴史を積み重ねてきた会社でありながら、自分たちの価値を、自分たち自身が信じきれずにいた。この「自社への自信のなさ」こそが、求人媒体や採用手法以前に立ちはだかっていた壁だった。

求人媒体を変えれば応募が増える、という単純な話ではない。むしろ、どんな媒体を選んでも、発信する側に「伝えたいこと」がなければ、言葉は空回りしてしまう。この会社が最初に向き合う必要があったのは、まさにその土台の部分だった。

転換点:「採用できるかどうか」より先にあった課題

スケッチが最初に取り組んだのは、採用手法の見直しではなかった。表向きの目標は「1人でも採用できる状態をつくる」ことに置いたが、その裏側にもう一つのゴールを据えた。「自社肯定感の回復」である。

採用活動がうまくいかない会社の多くは、手法以前に「自分たちには魅力がない」という思い込みを抱えていることがある。この会社もまさにそうだった。だからこそ、求人原稿を変える前に、まず社内に眠る価値を掘り起こす作業から始めた。

求人の反応が薄いとき、多くの会社はまず媒体や原稿を疑う。だが、この会社にとって本当に必要だったのは、原稿を書き換える前に、自分たちが何を誇りに思っているのかを、自分たちの言葉で言えるようになることだった。

変革のプロセス:歴史と現場力を、言葉に変える

経営陣や現場の社員へのインタビューを重ね、「70年の歴史」「大手企業との取引実績」「クイックレスポンス・安全徹底といった現場力」を、あらためて言葉として整理していった。当たり前すぎて、誰も口にしてこなかったことばかりだった。

社員にとっては日常でも、外から見れば70年続いてきたこと自体が、簡単には真似できない信頼の証だ。長く取引を続けてきた事実、現場で積み上げてきた技術。すでに持っていたものを、初めて「求職者に伝わる言葉」に翻訳する作業だった。

その言葉をもとに、採用サイトを新たに制作し、公開した。ハローワークだけに頼っていた採用活動に、初めて「自社で発信する」という選択肢が加わった。

求職者にとって、自社サイトがないことは「この会社は大丈夫だろうか」という不安につながりかねない。採用サイトの公開は、その不安を解消するだけでなく、社内からも「うちは、思っていた以上に良い会社かもしれない」という声が自然と出てくるきっかけになった。こうして自社肯定感が高まったタイミングで、求人媒体を通じた情報発信をスタートさせた。

採用活動が軌道に乗り始めると、テーマは自然と次の段階へ移っていった。採用した人材の定着と育成である。Instagramでの情報発信、全社員アンケート、社員紹介シートの掲示。若手が入社したあとも長く働き続けられる土台づくりが進んでいった。

これらの取り組みに共通していたのは、外部に発注して終わりにするのではなく、社内で更新し続けられる形にしたことだ。採用サイトの言葉も、Instagramの発信も、担当者が自分たちの手で運用できる状態を目指して設計されていった。

結果:4か月で4名、12か月で累計5名を採用

支援開始から約4か月で4名を採用。12か月の時点では、累計5名の採用を実現した。ハローワーク頼みだった採用活動は、自社で再現できる仕組みへと変わった。

数字以上に大きかったのは、社内の空気の変化だ。「うちに応募が来るのか」という不安は、実際に若手が入社し、定着していく過程の中で薄れていった。社長や社員が、自分たちの会社を語る言葉にも、少しずつ自信がにじむようになっていった。

特別な体制を新たに設けたわけではない。今ある人員のままで無理なく回せる設計にしたことが、支援終了後も続けられる採用活動につながった。

その変化は、次のテーマも引き寄せた。社員の声から評価制度の必要性が浮かび上がり、現在は評価制度構築のフェーズへと進んでいる。採用の入り口だった取り組みが、会社全体の仕組みづくりへと広がりつつある。

採用を起点にしながら、定着、育成、評価へとテーマが自然に広がっていったこの流れは、最初から意図されていたものではない。むしろ、1人でも採用できる状態をつくるという小さな目標から始まり、結果として会社全体を見直すきっかけになった。

この会社の変革の本質

この会社が変えたのは、採用手法だけではない。70年間、現場で積み重ねてきたものを、初めて「言葉」として外に向けて発信したことこそが、変革の起点だった。

歴史や実績、魅力は、もとから会社の中にあった。ただ、それを言語化する機会がこれまでなかっただけだ。自社の価値を自分たちの言葉で語れるようになったとき、採用活動の壁は静かに崩れていった。

「1人でも採用できる状態をつくる」という小さな目標を起点に、社内の空気そのものが変わっていく。この会社の歩みは、世代交代という大きな課題に対して、いきなり大きな一手を打つ必要はないことを示している。

第2話|製造業(金属加工・機械部品) × 関東(従業員約40名)|社員平均年齢50歳超からの若手採用改革

出発点:技術はあるのに、応募が来ない

関東のこの製造会社は、金属加工と機械部品の分野で高い技術力を持つ。大手メーカーからの受注を安定的に受け、経営基盤は決して弱くない。

しかしその信頼の裏側で、長年にわたり深刻な人材不足に悩まされてきた。採用活動は、ハローワークと求人広告、知人紹介に頼るスタイルから抜け出せずにいた。応募者数は年々減少し、採用できたとしても高年齢層が中心。気づけば、社員の平均年齢は50歳を超えていた。

体力が求められる工程も少なくない現場だ。このままでは技術継承にも、事業拡大にも支障が出かねない。舵取りを担う2代目社長は、「このままでは近い将来、会社にブレーキがかかる」という強い危機感を抱いていた。

求人広告を出しても、若手に届かない。若い世代がそもそも目にする機会がない、という構造上の課題も抱えていた。

変革のプロセス①:現場の声を、写真と言葉で残す

スケッチがまず行ったのは、社員12名以上への個別インタビューだった。カメラマンが同行し、現場で働く姿をそのまま撮影した。飾らない、リアルな職場の空気を伝えるためだ。

求人票の文言をきれいに整えるだけでは、実際の職場とのギャップが生まれかねない。だからこそ、現場に足を運び、社員一人ひとりの言葉と表情を、そのまま記録することにこだわった。

そこで集めた声と写真をもとに、採用特化サイトをゼロから制作した。企画・構成・取材・撮影・ライティングまで、すべてを一貫して手がけた。

変革のプロセス②:採用手法の選び方にも、意志を持たせる

広報の導線も見直した。Googleビジネスプロフィール、SNS、コーポレートサイト。それぞれの導線を整理し、応募までの流れを整えた。

有料広告への投資は、Indeedの15万円分のみ。それ以外はすべて無料で活用できる広報ツールを徹底活用する方針を貫いた。限られた予算をどこに使うかという判断を、社内に残る資産にすることを意識した設計だった。

選考面でも変化があった。オンライン面接ツールを導入し、面接官向けの研修も実施。採用プロセス全体を見える化し、担当者が自ら運用できる体制を整えていった。

これまで感覚的に行われていた選考のやり取りを、誰が見ても同じように進められる形に整えたことで、採用担当者一人に依存しない体制へと変わっていった。

採用特化サイトも、一度作って終わりではなく、応募状況を見ながら写真や文言を更新していける構成にした。制作を終えた後も、社内で手を加え続けられることを前提に設計した。

結果:採用者の平均年齢は30.6

6か月間で応募49名、採用6名。この数字は、過去4年分の応募数を上回るペースだった。

象徴的だったのは、採用者の平均年齢が30.6歳だったことだ。社員平均が50歳を超えていた状況に対し、確実に世代の転換点が生まれた。採用単価は25,000円に収まった。

さらに、内定を辞退した候補者へのヒアリングから、「給与水準」「休日数」という具体的な課題も見えてきた。この気づきは経営会議に持ち込まれ、待遇改善が正式なテーマとして取り上げられるまでになった。採用活動が、社内の議論を動かすきっかけにもなった。

金属加工という、若手からの応募が集まりにくいとされがちな業種で、採用者の平均年齢を一気に引き下げたこの変化は、技術力の高さだけでは説明できない。現場の見せ方、伝え方を変えたことの結果だった。

この会社の変革の本質

この会社が手に入れたのは、若手の採用数だけではない。採用活動を通じて、自社の待遇面の課題を可視化し、経営の議題に乗せるところまでたどり着いたことだ。

採用活動は、人を集めるだけの活動ではない。会社の現在地を映し出す鏡にもなる。この会社は、その鏡をうまく活用し、次の一手につなげた。

技術力の高さだけでは、若い世代には伝わらないこともある。社員の言葉、現場のリアル、応募後の丁寧な選考体験。目に見える形に変えていく作業の積み重ねが、平均年齢という数字を動かした。

第3話|建設土木業 × 中国地方|「3K」イメージを覆した若手採用(従業員約30名)

出発点:技術力があっても、越えられなかった「3K」の壁

中国地方(中四国)のこの建設会社は、地域でも指折りの技術力を誇る。だが若手確保となると、話は別だった。「3K」「何をやっているか難しくてよくわからない」という業界イメージが、採用活動の前に立ちはだかっていた。

欠員が出るたびに高い広告費を投じ、応募を「待つ」スタイル。費用対効果は低く、終われば社内にノウハウも残らない。良い人材と出会えるかどうかを、いわば運に委ねているような状態が続いていた。この繰り返しの中で、社員の高齢化は静かに進んでいた。数年後の事業継続リスクは、もはや無視できないところまで来ていた。

技術力の高さは、地域では広く知られていた。それでも若手からの応募が集まらない。技術と採用のあいだに、大きな断絶があった。

欠員が出るたびに広告費で穴を埋めるやり方は、目先の欠員は解消できても、次の欠員が出ればまた同じことを繰り返すことになる。会社の中に、ノウハウも仕組みも積み上がっていかない構造だった。

気づき:現場にあったのは「キツさ」ではなく「誇り」

スケッチは、代表と現場社員10名へのインタビューから始めた。そこで浮かび上がってきたのは、外から見た「3K」というイメージとはまったく違う言葉だった。

「地域の当たり前を支えている誇り」「チームで難しい任務をやり遂げる最高の達成感」。現場の社員たちは、外からは見えにくい確かなやりがいを持って働いていた。それは、求人票の定型文には決して収まらない、生きた言葉だった。

この発見をもとに、「土木作業」ではなく、「地域の未来を現場から支えるプロフェッショナル」というストーリーに再定義した。欠員が出るたびに広告に頼り、良い出会いを待つだけだったこれまでのやり方からも、少しずつ距離を置くことになった。

変革のプロセス:接点のすべてを、刷新する

再定義したストーリーをもとに、Indeed、Airwork、ハローワーク、SNSなど、あらゆる採用接点を刷新した。「現場作業員」という職種名も、ワクワク感が伝わる名称に変更した。

ハローワークの求人票は全面的に書き直し、「事業所PRシート」や「チラシ」といった新しい手法も導入した。並行して、noteとInstagramでは、現場のリアルな空気感を継続的に発信し続けた。支援期間は1年間に及んだ。

一つの媒体に頼るのではなく、接点そのものを増やし、どの入り口から来ても同じメッセージに触れられるようにした。時間をかけて積み上げる設計だったからこそ、1年という支援期間そのものが意味を持った。

短期間で結果を求めるのではなく、発信を継続すること自体を目的の一つに据えた。会社の考え方に触れる機会を増やし続けることが、遠回りに見えて最も着実な採用活動になっていった。

noteやInstagramでの発信は、支援が終わったあとも会社自身が続けていけるものだ。外部に発注する広告とは違い、書けば書くほど、社内に発信のノウハウとして積み上がっていく。自社の魅力を自分たちの言葉で発信し、価値観の合う人と出会いにいく。偶然の出会いを待つ採用活動からの転換だった。

結果:応募50件・採用10名。全国から人が集まる会社へ

1年間で応募50件、採用10名。採用者のほとんどが20代・30代という若年層だった。

特筆すべきは応募者の質だ。「SNSやnoteを読んで、考え方に共感した」という価値観共感型の応募者が着実に増えていった。地元だけでなく、九州の高校からの見学希望や、関東・北陸からの応募も発生。地域の会社が、全国規模で認知される存在に変わっていった。

この会社の変革の本質

この会社が変えたのは、求人票の言葉だけではない。「3K」という外からのラベルに対して、現場が持っていた「誇り」という内側の言葉で、真正面から応答したことだ。

業界のイメージそのものを一社だけで変えることはできない。しかし、自社がどう見られたいかは、自分たちで選び取ることができる。この会社は、その選択を貫いた。

九州の高校から見学希望が届いたという事実は、地域を越えて認知が広がったことの表れだ。1年間、発信を続けたことが、思っていた以上に遠くまで届いていた。

第4話|運送業(楽器の輸送・メンテナンス専門) × 東海|10年間ゼロだった若手採用を実現した特殊技術職への挑戦

出発点:10年間、採用がゼロだった会社

東海地方にあるこの運送会社は、楽器の輸送とメンテナンスという、極めて特殊な技術を扱う老舗企業だ。だが、その技術の高さとは裏腹に、採用活動は長らく機能していなかった。10年間、公募での採用実績はゼロ。社員の紹介や縁故だけで人材を確保してきた。

外部への情報発信もノウハウの蓄積もないまま、若手不足と技術継承の危機は年々深刻になっていった。半年で応募がわずか2件という状況に加え、定着率も低く、早期離職が続く悪循環に陥っていた。

縁故採用が悪いわけではない。しかし、それだけに頼り続けた10年間で、外部に自社の魅力を伝える経験そのものが、社内から失われていた。求人票の書き方も、面接での伝え方も、いちから組み立て直す必要があった。

特殊な技術を扱う仕事ほど、「わかる人にだけわかればいい」という空気が生まれやすい。だがそれは裏を返せば、外の人には何も伝わっていないということでもある。

転換点:「体力仕事」という思い込みを、外す

スケッチがまず着手したのは、仕事そのものの再定義だった。「楽器の運送」という業務を、「一生モノの職人技」「文化を守る誇り」という言葉で語り直した。

同時に、若手が懸念しがちな要素にも向き合った。体力面への不安、そして先が見えない徒弟制度への漠然とした不透明感。この2つを払拭するため、アルバイトから正社員登用へと進む明確なキャリアパスを制度として設計した。

「いつか一人前になれる」ではなく、「どのステップを踏めば、どうなれるか」を見える形にしたことが、若手にとっての安心材料になった。

変革のプロセス:「待つ採用」から「選んで採用できる」状態へ

これまでのように、あらゆる層に向けて広く募集をかけるのではなく、ターゲットを絞り込んだ「攻めの採用」へと舵を切った。

採用にかける工数もできる限り抑えながら、最終的に「選んで採用できる」状態を目指す設計にした。応募を待つだけの受け身の採用活動から、自社が主体となって選べる採用活動へ。発想そのものを転換する取り組みだった。

特殊な技術を扱う会社だからこそ、誰にでも合う仕事ではない。だからこそ、広く浅く募集するのではなく、興味を持ちそうな層に絞って言葉を届ける方が、結果として効率のよい採用活動になった。

キャリアパスの制度化も、採用のためだけの取り組みではない。入社後の育成方針そのものを言語化したことで、面接の場でも自信を持って将来像を語れるようになった。

結果:応募数、19

半年でわずか2名だった応募数は、1年後には38名にまで伸びた。19倍という数字である。10年間、採用がゼロだった状態から、1年間で5名の採用を実現した。

応募数が増えただけではない。採用活動の質そのものが変わった。応募が集まることで、「選んで採用できる」状態へと近づいていった。

10年間ゼロだった状態から1年でここまで動いたという事実は、特殊な技術職の採用に悩む会社にとって、一つの手がかりになるはずだ。特殊であることは、採用が難しい理由にはならない。特殊であることを、誰に、どう伝えるかが問われていただけだった。

この会社の変革の本質

10年間、この会社は「特殊な技術だから、募集しても人は来ない」と思い込んでいたのかもしれない。だが実際に足りなかったのは、技術の価値を伝える言葉と、若手が抱く不安に向き合う姿勢だった。

一生モノの職人技を、次の世代にどうつなぐか。この会社が見つけたのは、その問いへの答えだった。

縁故という限られた輪の中でしか語られてこなかった仕事の魅力が、外に向けて開かれた瞬間、応募という形で反応が返ってきた。10年という時間の長さが、変化の大きさをより際立たせている。

「若手が採用できない」中小企業に共通する視点

4社に共通していたのは、「若手が来ない理由」を業界やマーケットのせいにしなかったことだ。

九州の建設会社は、70年の歴史を言葉にした。関東の製造会社は、現場のリアルを写真と言葉で残した。中国地方の建設会社は、「3K」というラベルに現場の誇りで応えた。東海の運送会社は、特殊な技術を「職人技」という価値に変換した。

手法はそれぞれ違う。しかし、根っこにあった問いは同じだ。「自分たちの魅力を、まだ言葉にできていないのではないか」。

若手が採用できないという課題は、しばしば「業界のせい」「マーケットのせい」として片づけられがちだ。だが、この4社が向き合ったのは、業界そのものを変えることではなかった。自社がどう見えているか、どう見られたいかを、自分たちの手で選び直すことだった。

世代交代というテーマは重い。5年後、10年後の会社の姿を左右する切実な課題だからだ。しかし、その重さに向き合う手がかりは、案外、社内にすでにある。現場のインタビューの中に、社員の何気ない一言の中に、まだ言葉になっていない魅力が眠っている。

4社とも、最初から確信を持って動き出したわけではない。「本当にこんなことで変わるのか」という戸惑いを抱えながら、一つひとつの言葉を掘り起こし、届け方を変えていった。その積み重ねの先に、若手が集まる会社の姿があった。

もう一つ、4社に共通していたことがある。作った採用サイトも、書き続けたnoteも、整えた選考フローも、支援が終わったあとに会社の中に残るものとして設計されていたことだ。世代交代は一度きりの出来事ではない。5年後、10年後にも同じ問いと向き合う日が来る。そのとき頼れるのは、外部の手ではなく、自分たちの中に積み上がった経験そのものだろう。


▼ Vol.04では、「医療・介護・福祉の採用を変えた」をテーマに、専門職採用という別の壁に向き合った会社たちの物語をお届けする。

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